同じ境遇の人たちと語りましょう。
2017年08月02日
就活と仕事に疲れた方へイベントのご案内
同じ境遇の人たちと語りましょう。
2017年06月14日
残業規制に伴う自己責任範囲の増大
その日は毎月実施している研修の日だったのですが、直前にお電話があり「研修の後に時間を取ってほしい」とのご依頼をもらいました。
聞けば、ある「気分屋さん」の社員に対する対応の協議で、リーダー、管理職クラスが数人集まる場でアドバイスがほしいとのことでした。
まずその施設のすばらしいところは、誰一人「やめさせろ」「厳しく叱れ」という意見を出さないこと。
気分屋さんに振り回され、イライラを感じているにもかかわらず、そうなってしまう背景や本人の苦しさにフォーカスしようとしていました。
「病気」「性格」「生い立ち」「嫉妬」「家庭の事情」などなど、いろんな視点が考えられると思いますが、みんな一生懸命考えてくれるんです。
終わったのは22:30を回ったころ。
翌日に早番勤務の人もいる中、みなさん嫌な顔もせず、真剣にその「気分屋さん」のことを思いやり、どう対応してあげたらいいかを考えているんです。
で、ここからが本題なのですが……
このMTGも立派な残業になります。
僕は基本的には残業規制には賛成なのですが、もし残業規制が進み、こうした場が失われるとしたら……?
恐らくこの「気分屋さん」は周囲から浮いてしまう一方となり、職場メンバーや管理職から有効な対応がなされることもなく、職場を離れることになってしまう可能性が高いのではないでしょうか。
そして、そうした一面に気づいたり直ったりすることもなく、次の職場でも同じ問題を引き起こし、ジョブホッパーになっていく可能性も……
職場で教えてもらえるのは仕事だけではないと思います。
こうした職場や社会での立ち居振る舞いを教わる場面も多いはずです。
いや、むしろそれも含めた円滑な人間関係の築き方の方が、仕事そのものよりも難しいのではないでしょうか。
残業規制が進んでこういう時間を取ることも難しくなってくるのだとすると、そこも含めて「自己責任」ということになっていくのでしょう。
自分で気づいて直せればいいのですが、自分で気づけない人もたくさんいます。
教える時間がなくなるのだとすると、今までならモノになるまで手厚い教育で支援してもらえたところが、見切りも早くなるということ。
見切られる側の人のことを思うと、いろいろ考えてしまいます。
ぬるま湯状態でいられなくなって、必死に働く羽目になるのはまだいい方。
気づけないまま、どこへ行ってもうまくいかずに悩んでしまう人がいるんじゃないか、と思うと、それが心配です。
そうなると、22:30までMTGする意味もあるんだよなぁ。
でも、時間がねぇ。悩ましい……
それと、この「気分屋さん」、自分の知らないところでこんなに管理職が悩んでいることは、きっと知らないままなんでしょうねぇ。
だとすると、僕も自分の知らないところで誰かを悩ませているんだろうなぁ
2017年03月31日
残業規制が徹底されるとどういうことが起こるのか?
残業規制について思うこと。
僕自身は、残業規制には賛成です。
むしろ、1日8時間・週5日働かなければいけない、ということにも疑問を持っています。
ただ、もし残業規制が本当に徹底されたら、労働者側にも非常に厳しい世の中になるだろう、と思っています。
残業規制を徹底する、ということは、1日8時間+決められた残業の上限/月以上働くことなく、生きていけるだけのお金を稼がなければならない、ということです。それができない会社はつぶれるか、生きていけるだけのお金を時間内に稼がなければなりません。
会社が生き残るためには、社員それぞれが限られた時間内に成果をあげなければなりません。もちろん、それぞれに同じ量の仕事が与えられれば、同じ時間でこなすことが要求されます。それは、これまでは要領の悪さを誠実ながんばりでカバーしてきた人たちが、切られる側に回るかもしれないということです。平均値をボーダーラインとするなら、50%はそちら側に回ることになります。もしそうした人たちが生き残っていこうとするなら、毎日時間と効率を意識しながら、追われるように仕事をするストレスと戦わなければなりません。
また、目標値の基準になるであろうハイパフォーマーについては、これまで成果基準だけがハイパフォーマーに合わされてきましたが、時間基準がこれに加わることになるでしょう。もはや、職場でのんびりすることなどできなくなります。私語厳禁などといわれなくても、そんなことをする時間すらなくなります。最終的には秒単位で追われて仕事をすることになるでしょう(既に製造業を中心に、作業標準時間が秒単位で定められているところがたくさんあります)。それはかなり精神的にこたえる世界のはずです。
残業規制が徹底されると、働き方はそんな風に変わっていくはずです(もちろん、残業規制が形式だけになれば今の長時間労働が是正されないだけです)。残業規制をマラソンに例えれば、これまでは5時間かけても6時間かけても完走すればほめてもらえたのが、これからは3時間で走れなければ困ると言われ、3時間を切る能力がない選手まで死に物狂いで走らされるということです。全力疾走しなくても成果をあげられるスキルを身につけるか、能力いっぱいのラインで毎日全力疾走させられるか、全力疾走しても集団についていけず苦しい立場に置かれるか? これからの時代、そんな覚悟を問われる時代が来てしまうのではと考えています。
僕は、全力疾走しなくても成果をあげられるスキルを身につけられるよう、協力したいと思っています。だって、それ以外の道は苦しいだけですから。
2016年12月27日
仕事を楽しむだけの力量
ある会社の看板を見ながら、「自分がここの営業だったらどんな売り方をするだろう」なんて考えている自分自身を見つけて……
昔、営業をやっていたころは営業の仕事が嫌で嫌でたまらなかったのに、今はそれほどでもなく、むしろ「いろんな人に会えて楽しい」「商談を見つけるのは宝探しみたいで面白い」と、あの当時、上司や同僚に言われていた言葉(かつ、同時は全く理解できなかった言葉)に共感する気持ちを持てている自分に気づきました。
あの頃の自分には、営業を楽しめるだけの力量がなかったんだろうなぁ。
野球が下手な選手がハイレベルなチームに居たってつらいだけで楽しくなんかない。楽しめるのは、同じレベルになってから。それと同じで、営業はおろか、社会人として全然ダメだった自分が営業の仕事なんかやったところで、つらいだけで楽しくなんかないのは当然だったんでしょうね。
となると、今、やっとあの時の同僚と同じレベルか?
成長遅いですね(泣)