2014年04月11日

沼津の小学生死亡事故に思う

こんにちは。ワークイズ代表の桑原祐介です。


昨日、沼津でノーブレーキの車が壁に激突し、通学途中の小学生の男の子が巻き込まれて亡くなりました。
大変痛ましいことに、お母様の目の前での事故だったとのことです。


報道によれば、加害車両を運転していたのは、富士市内の中学校教諭だったそうです。
ブレーキ痕もなく、運転席側がつぶれていることから、居眠りしてしまった可能性が高そうです。
この春、富士市内の中学校に異動となり、伊豆の国市の自宅から1時間半かけての車通勤でした。
事故発生時刻が6:57ですので、この教諭は5時台に家を出たのでしょう。
ニュースの文面には、「1時間半かけて自宅から学校までの約38kmを車で通っていたという」と記されていました。
「それが居眠りの原因になったのではないか」というニュアンスが感じられます。


5時台どころか、もっと早く出勤されている方も、世の中にはたくさんいらっしゃると思います。
けれど、群馬・藤岡のバス事故で規制が厳しくなったように、これまで問題とされてこなかったことが、事故や事件をきっかけに見直され、新たなルールが作られるということは、よくあることではないでしょうか。


事故が起きなければ、何も変わらないのでしょうか。
事故が起きる前に、誰かが「危ない」ということに気づいていた、そういう事故もたくさんあったはずで、それらは「防げた事故」だったのかもしれません。


伊豆の国市から富士市まで通勤するような異動が悪いのだ、と決め付けるつもりはありません。
しかし、「危ない」「いつか事故が起こる」と言われ続けていながら、何の対策もされていない案件が、たくさんあるように感じています。
ブラック企業に関する書き込みを見ていると、そうしたコメントをよく見かけます。「前々から危ないと指摘があったが何も対策がなされない。あの会社、事故でも起きない限り対処しないだろう」といったコメントです。


「危ない」「いつか事故が起こる」という声が上がっている案件を、「そんな意見はぬるい」「昔はそれでやってきた」などといって放置していると、こうした事故はいつまでもなくならないのではないでしょうか。
「昔はそれでやってきた」という言葉は、少なくとも危険回避に関しては、問答無用のNGワードであるように感じます。


今回の痛ましい死亡事故を教訓に、せめて、「過酷な労働は人の命にもかかわるという危機意識が広がってほしい」と願います。
これまでの「当たり前」を見直し、少しずつでも改善していこうと皆で努力していきたいものですね。
「昔はそれでやってきた」「これまで事故が起こったことはない」といった言葉を言っているようでは危機意識が足りないのだということを、この小学生も、藤岡の事故も、その他たくさんの悲しい事件も、その身を以って教えてくれているのだと僕は思います。
悲しい思いをする人をこれ以上増やすのは、やめようではありませんか。
自分が認めたくなくとも、多くの人が「危ない」と言っているものは、やはり危ないのです。
posted by work-is at 21:47| Comment(0) | 仕事全般
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