2015年04月15日

給食での指導の変化が離職者を生んでいる?

こんにちは。ワークイズ代表の桑原 祐介です。


僕が子供の頃、幼稚園の給食を残すことは許されないことでした。
みんなが帰る支度を始めても、並んで教室を出て、今まさに帰ろうとしていても、給食は全部食べきらなければなりません。
僕も、遠い記憶の中に、どうしても食べられなくて1人教室に残された思い出があります。
もちろん、僕だけではありません。泣きながら給食と向き合っている子を見ていた記憶も、残っています。


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小学校の頃の給食は、1ヶ月分の献立がプリントになって配付されました。
当時、僕は給食の「ごまあえ」が大嫌いでした。
べしゃっとした冷たいホウレンソウ、そしてガリッと硬いままのニンジン……
作ってくれた人には申し訳ないのですが、本当に苦手で、吐いてしまいそうなほどでした。
だから、献立が配られると、真っ先にチェックしたのは「今月は「ごまあえ」が出るか、否か?」
僕にとっては、好物のチェックよりも「ごまあえ」の方が重大なことだったんです。


「ごまあえ」が出る日は、正直、仮病でも使って休みたいくらい嫌でした。
でも、学校に行けば、「ごまあえ」を残すことは許されません。
涙をこらえて、必死に飲み込んだのを今でも覚えています。


今は、学校でも幼稚園でもそんなことはさせないでしょう。
すれば、親から苦情が来るでしょうから。


でも、「どんなに嫌なことでも逃げ場はない。これを食べなければ帰してもらえない」という「背水の陣」みたいな覚悟は、そのおかげで持つことができたような気がするんです。
「ごまあえ」問題は、小学生の僕には本当に大きな悩みでした。仮病で休みたい、ティッシュにくるんでこっそりゴミ箱に捨てたい……いろんな逃げ方を考えましたが、やはり逃げられず、腹をくくらざるを得なかった。でも、それはもしかしたら人生で最初の「逃げることは許されない」現実を学ぶ場だったのかもしれないと、今になって思うのです。


もし僕が「ごまあえ」を「嫌いなら食べなくてもいいよ」と言われていたら、どうなっていただろうか、と考えます。
きっと、大量の書類の山や、いつ終わるとも知れない残業に音を上げて、逃げ出すことばかり考えていたかもしれません。


もちろん、アレルギーのある子もいます。そういう子に無理に食べさせては絶対にいけませんが……
でも、「嫌いなものでも食べなければ帰れない」あの教育がなくなったことと、仕事がつらくなったらすぐ辞めてしまう、嫌なことがあるとすぐ無断で欠勤してしまう、そうした現状とは、なんだか関連があるような気がしてならないのです。


世の中って、不条理なところがたくさんあります。
そして、その不条理は、人と人の思いの違いや、人間同士がお互いを理解しあう限界に起因するものであるが故に、なくなることはないでしょう。
けれど、子供には不条理を強いることがどんどん減ってきています。「ごまあえ」が嫌いなら、もう食べなくてもいいし、中学校に行ったからといって強制的に坊主頭にされるわけでもないし、部活動の練習中に下級生だけ水を飲んではいけないという伝統もありません。


そして、社会に出ていきなり不条理にぶつかったり、これまでは逃げることのできた「逃げ出したいほどの現実」に直面したりします。
今までは逃げてこられたのです。向き合わずに済んだのです。誰かが何とかしてくれたのです。そう。「嫌だったらいいんだよ。やらなくても」と、誰かが言ってくれたんです。これまでは。
そう考えると、「すぐ辞めちゃう」新人も、「嫌なことがあると無断欠勤してしまう」若者も、もしかすると本人の責任ではなく、今の教育がそういう部分を避けてきてしまったことによって生まれてしまったのかもしれません。無論、今の教育下においても、そうではない新人・若者もたくさん育っているのですが、子供の頃からそういう経験をしていれば耐性ができた人たちも何割かはいたかもしれない、と思うと、僕は「ごまあえ」を食べさせられてよかったのかな、と思うのです。
posted by work-is at 01:12| Comment(0) | 離職問題

2014年11月25日

弱い苗木には添え木が必要

こんにちは。ワークイズ代表の桑原祐介です。


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苗を植えたら、しっかり根を張って自立するまでは、添え木をしてあげますよね。
ひょろっと、もやしみたいな苗だったら、なおさら添え木が必要です。


新卒〜定着するまでの若者たちを、苗木に例えてみます。
いつでも好きなときに物が買え、メールも通話もゲームもやろうと思えばタダで好きなだけやれて、「子供はできるだけほめて育てましょう」「子供が嫌がることは無理にさせないようにしましょう」と育てられてきた若者たちは、いわば「温室育ち」であると言えるでしょう。
(くれぐれも、そんな世の中で過ごさざるを得なかった若い人たちに責任はありませんが)


そんな「温室育ち」の苗木には、間違いなく添え木が必要ではないでしょうか。


残念ながら、仕事の世界は温室ではありません。
温室育ちではない、強健な「苗」から成長した「成木」とのぶつかりあいも避けられません。
いくら育ちが「温室育ち」でも、そのままでは通らない……どこかで、温室を出ても枯れない、倒れないようになる必要があります。


若い人たちの話を聞いていると、それを見た年長者から「そこまでしてやらなければいけないのか?」「そうやって甘やかすからいけないのだ」という声が聞こえてくることがあります。


けれど、「若い人たちの話を聞く」「支えが必要」ということは、そういうことではないのです。


今の若者たちは、寒風吹きすさぶ中で耐えて育った「苗」ではありません。
植えっぱなしでは、枯れてしまう苗も少なくないのです。
だから、温室の外に順応するまで、添え木が必要になります。
しっかり根を張って、自分で立てるようになるまで、支えが必要になります。


「苗」が育つ環境が変わり、労働市場に提供される「苗」の質が変わってしまった……
だから、植え方に注意しなければならない、ということだけです。
最初は慎重に手を掛ける必要があります。
それは、「ずっとあれもこれも面倒を見続ける」ということではなく、「順応させるために必要なプロセス」であり、「順応する前に枯れることを防ぐために行う」ものなのです。


植え方を知らずに枯らしてしまうのは困ります。「苗」に例えましたが、実際には尊重すべき人格を持った一人の「人」なのですから。
同時に、いつまでも添え木が外せないのも困ります。会社の中で「添え木」の役割を果たすのは、アウトプットを出さなければいけない「社員」なのですから。


そのために、どうするか?
そこに、「コーチング」とか「ほめ方・叱り方」とか、そうした技術が注目される理由があるのです。
posted by work-is at 22:23| Comment(0) | 離職問題

2014年11月24日

世の中が変化したら……対応するしかない!

こんにちは。ワークイズ代表の桑原祐介です。


もし、世の中が変化して、自分の会社の商品や製品がニーズとマッチしなくなってしまったら?
新しい商品を開発したり、業態を変えたりしなくてはなりません。


もし、さまざまな理由で原材料が調達できなくなってしまったら?
産地を変えたり、原材料そのものを変更したりして対応しなければなりません。
漁業などでは漁獲量が劇的に変わることもあるでしょうし、工業製品でも、法律等によって材料が使えなくなり、代替品を探さなくてはならなくなることがあります。


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もし、労働市場における人材の質が変化し、これまでとは採用事情が異なってしまったら?
「今の若い人たちは……」と文句を言っても始まりません。
上述の例とまったく同じく、どうにかしてその変化に対応しなければならないのだと思います。


でも、営業や販売、経営とは違って、どうして人材に関しては「対応」という視点が弱いのでしょうか。
嘆いてばかりで、打つ手を持っていない方がたくさんいると感じています。


打つ手は、たくさんあります。
それも、そんなに難しいことではありません。組織が自浄作用を持って回り始める、そんなやり方がちゃんとあります。
経営者の方々とお話をしていると、そんなことについて、もっともっと自分にもお伝えできることがあるのではないか、と思うようになりました。
打つ手に困っている一生懸命な経営者の方や、がんばっている企業さんに対して、何かお手伝いできればと思っています。
posted by work-is at 16:40| Comment(0) | 離職問題

2014年10月10日

「わかってもらいたい」気持ち

こんにちは。ワークイズ代表の桑原祐介です。


今日も短めで、辛口で。


「わかってもらいたい」と思っている若者は多いことと思います。
上司に、会社に、親に、友達に、恋人に。


「わかってない!」
「もっと理解してほしい」


そんな気持ちを持つあなたへ。


「わかってあげて」いますか?
上司や、会社や、親や、友達や、恋人のことを。


自分がやってみると、結構難しいんじゃないかな?
相手のことって、わからないものなんだと思います。
もちろん、お互いがわかろうと努力することは大切だけれど。
すれ違いがあっても、怒らない、怒らない……
だって、自分にも相手のことを100%わかってあげることなんて、できないんだから。
posted by work-is at 21:11| Comment(0) | 離職問題

2014年10月08日

昔と今の入社時ギャップを考える

こんにちは。ワークイズ代表の桑原祐介です。


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江夏豊はルーキーイヤーの頃、ストレートしか投げられなかったそうです。
カーブを覚えたのは2年目だったとか。
それでも、江夏はルーキーイヤーにおいてシーズン最多奪三振を記録しています。


江夏豊は、確かにすごいピッチャーだったのでしょう。
でも、今はどんなにボールが速くても、ストレートだけというピッチャーはおろか、ストレートとカーブだけ、というピッチャーも、恐らくプロ入りするレベルでは見受けられないのではないでしょうか。


それで通用するとかしないとかではなく……
仕事においても、今の若者たちは同じような状況におかれているのではないか、と想像することがあります。
つまり、昔の新人がストレートだけ、またはストレートとカーブしか投げられないで入団するところを、今はストレート、スライダー、フォークにチェンジアップが操れてようやく一人前、と言われているのではないかと。
野球が高度化しているように、仕事も会社もまた、高度化していないはずはありません。
いきなりそれに適応しなければならない若者もまた、苦労しているのではないかと思うのです。


そんなことを思いながら、若い人たちがなぜ仕事をなかなか覚えられないのか、なぜ早々に離職してしまうのかを考えると、案外そういうところに原因があるのかもしれないなぁと思うことがあるのです……
posted by work-is at 01:07| Comment(0) | 離職問題