こんにちは。ワークイズ代表の桑原 祐介です。
岩手の中二いじめ自殺の件で、たくさんの方々がいろいろな立場から、それぞれの思いを綴っていらっしゃいます。
強硬な意見や批判的な意見、その他いろいろありますが、その根本にある感情はやはり「死なせずに済む方法はなかったのか」「このままではいけない」という「人としての温かい気持ち」という点において、共通なのだと感じます。
強硬な意見や批判的な意見、その他いろいろありますが、その根本にある感情はやはり「死なせずに済む方法はなかったのか」「このままではいけない」という「人としての温かい気持ち」という点において、共通なのだと感じます。
今日は少し辛口で。
この件がそうだというわけではないのですが、何か事件が起きてしまったときや失言に対する弁明を聞くとき、「私はそのようには認識していない」といった意味の発言を耳にすることがよくあります。
でも、この種の言い訳を通すのは、そろそろやめにしたいなぁと思うんです。
だって、本当に常識とはかけ離れた認識しかできないのなら、その任務(それは時に教師だったり校長だったり政治家だったり医者だったりその他の職業だったりするのですが)から降りてもらわなければならない「適性のない人」であると判断せざるを得ないと考えるからです。
事件が起き、ニュースで会見の風景が流れて、当事者の「私はそのような認識は持っておりません」などという発言がなされ、そして被害者が唇をかんで涙し、ニュースを見た私たちもやり場のない気持ちを抱く……
何か、腹が立つじゃないですか。
ちゃんとしたいですよね。だって、大人なんだもの。
子供たちは、見ています。